オットー(Otto, 1125年 - 1190年2月18日)は、マイセン辺境伯(在位:1156年 - 1190年)。コンラート1世の子。後に裕福伯(der Reiche)の副え名で呼ばれた。副え名の「裕福伯」は存命中にはつけられておらず、裕福伯オットーとは妻の祖父に当たるバレンシュテット伯オットーを指した。オットーが亡くなって1世紀の間に、フライベルクの創設と銀の発見にちなんでこの名が贈られた。