1964年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権の1964年シーズン第12戦として、11月1日に三重県の鈴鹿サーキットで開催された。 レースは50cc、125cc、250cc、350ccが予定されていたが、50cc(ラルフ・ブライアンズが優勝)は出走したライダーが5名のみで、世界選手権からは除外された。 350ccも50cc同様の理由で選手権から除外される危険があったが、最少出走者数6名を確保するため無名のインドネシア人ライダーが雇われ決勝を走行した。そのライダーは5周でリタイアした。レースはジム・レッドマンがMZのマイク・ヘイルウッドを抑えて優勝した。アラン・シェパードも本GPに参加予定であったが、GP前のテストでクラッシュ、頭蓋骨を骨折したため出走できず、彼はこの負傷が原因で選手生命を絶たれることとなった。 250ccではレッドマンが6気筒エンジンを搭載したホンダの新型マシンで優勝を飾った。 125ccでは、前年に転倒、負傷のためリタイアしたエルンスト・デグナーが雪辱して優勝を果たした。