1965年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権の1965年シーズン第13戦として、10月23日から24日にかけて三重県の鈴鹿サーキットで開催された。レースは50cc、125cc、250cc、350ccが予定されていたが、125ccと350ccが行われた23日(土)の観客数は15,000名、50ccと250ccが行われた24日(日)の観客数は85,000名の集客を誇った。 125ccではホンダの5気筒エンジンを搭載した新型車両が投入され、ルイジ・タベリがスズキのヒュー・アンダーソンに次いで2位に入った。 350ccはジャコモ・アゴスチーニとジム・レッドマンの間でタイトルが争われ、レッドマンが2位に入ってタイトルを獲得した一方、アゴスチーニは点火の問題で5位に入ったに留まった。 50ccではルイジ・タベリが優勝、ラルフ・ブライアンズが2位に入ったが、有効ポイントの差でブライアンズがタイトルを獲得した。ブライアンズは北アイルランド出身ライダーとして初めての世界タイトル獲得となった。 250ccでは4年ぶりにホンダに復帰したマイク・ヘイルウッドが優勝した。レッドマンは体調不良のため出走しなかった。