1953年の国際連合事務総長の選出は、第2代国際連合事務総長であるトリグブ・リーが辞任を表明したことにより行われた。朝鮮戦争勃発以来、リーはソビエト連邦と対立していた。朝鮮戦争の休戦交渉が始まったことで、事務総長を交代する契機になるとリーは考えた。 イギリス代表団が推すカナダのレスター・B・ピアソンは、過半数の得票を得られたものの、ソ連が拒否権を行使し、選出が膠着した。他の候補者も過半数の得票を得られなかった。2週間ほど膠着状態が続いた後、フランスがダークホース的な候補としてスウェーデンのダグ・ハマーショルドを提案した。ハマーショルドは米ソ両国に受け入れられ、次期事務総長に選出された。 ハマーショルドはその後、1957年の再選に立候補し、満場一致で2期目の任命を受けた。