清露国境紛争(しんろこっきょうふんそう)は、1652年から1689年にかけて、アムール川(黒竜江)沿岸地帯の支配をめぐって、大清帝国とロシア・ツァーリ国のあいだに起きた断続的な紛争である。特に大きな戦いは1650年代に起きた紛争とアルバジン戦争(1683年-1689年)の2回であった。 16世紀-17世紀にかけて、ロシア人はシベリアに次々と進出していった。主な目的は毛皮などを先住民族から(貢納)として取り立てることである。明と清の移り変わりのさなかで、清も黒竜江周辺を支配してまもなく、衝突が多発した。1650年代に、清は勅令を発し、李氏朝鮮にも援軍を出させ、ロシア人たちと対決した。いっぽうで、ロシア・ツァーリ国は清との貿易を望んでいたが、交渉は進まなかった。またザバイカル地域での貢納民ブリヤート人の帰属をめぐり、ロシア人はハルハ部のモンゴル人とも争いはじめていた。 1683年から1689年にかけてので、争いは頂点に達する。ロシア政府と清国政府は交渉を続け、1689年にネルチンスク条約が結ばれ、国境が画定し、貿易が始まった。