海軍火薬廠(かいぐんかやくしょう)は神奈川県旧平塚市・中郡大野町(いずれも現在の神奈川県平塚市内)にまたがる約38万坪の敷地に存在した、大日本帝国海軍の兵器に使用する爆薬・火薬を製造していた海軍省直属の兵器工場(工廠)。のちに1929年(昭和4年)に爆薬部が京都府舞鶴市に移転、1939年(昭和14年)に支廠が宮城県船岡町に増設され、1941年(昭和16年)より東から順に、船岡支廠が「第一火薬廠」、平塚本廠が「第二火薬廠」、舞鶴爆薬部が「第三火薬廠」に改称されている。 現在、この地には横浜ゴム平塚製造所が存在している。跡地には正門門柱・奉安殿・地下壕入口・貨車引込線・鉄筋コンクリート建屋など一部現存する(2012年現在)。