二条 康道(にじょう やすみち)は、江戸時代前期の公卿・藤氏長者。藤原氏摂関家二条家の第16代当主。摂政・左大臣に昇った。関白九条幸家と豊臣完子の長男で九条道房、松殿道基らの兄。江戸幕府3代将軍徳川家光と徳川和子(東福門院)の甥に当たる。幼名は松鶴、一字名として「東」「藤」。 後水尾天皇に仕え明正天皇と後光明天皇の即位など重要儀式に立ち会い、摂政を退いた後も重用され、後光明天皇死後の後継者問題にも関与して幕府との折衝に当たった。また父が庇護していた京狩野のパトロンの1人でもあり、父と同様に彼等を庇護した。