桂陵の戦い(けいりょうのたたかい、繁体字:桂陵之戰、簡体字:桂陵之战、英語: Battle of Guìlíng)は、斉が趙を救うため、魏を攻撃した戦い。囲魏救趙はこの戦に由来する。 周の顕王15年(紀元前354年)、魏は趙の国都のを攻めた。翌紀元前353年、趙は同盟国の斉に救いを求めた。斉の威王はと孫臏に軍を率いさせて救援に向かわせた。孫臏は魏の精鋭部隊は趙を攻めていて、国内には弱小老兵が残っているだけと気付き、魏の国都の大梁(現在の河南省開封市)を攻めた。龐涓は邯鄲の包囲を解き、斉軍と桂陵(現在の河南省新郷市長垣市)で対戦して大敗し、龐涓を捕虜とした。その後、魏と韓は盟を結び、斉を攻めた(襄陵の戦い)。楚と秦の介入の下で、魏と斉は和約して、孫臏は龐涓を釈放した。