ウィリアム王戦争(ウィリアムおうせんそう, 英語: King William's War, 1689年 - 1697年)は、またの名を第二次インディアン戦争という。第一次はフィリップ王戦争、第三次はラル神父戦争、第四次は、第五次はジョージ王戦争、そして第六次はフレンチ・インディアン戦争である)。大同盟戦争の北アメリカの植民地における戦争であるが、植民地には両国とも遠征軍を派遣できず、それぞれが独自の兵力で対戦した。北アメリカではイギリス国王ウィリアム3世の名を取ってウィリアム王戦争とよばれている。 ヌーベルフランスとは、イングランドのアカディアでの勢力拡大を阻止できる実力があった。アカディアの境界はヌーベルフランスにより、メイン南部のケネベック川と定められていた。レイスウェイク条約(ライスワイク条約)では、ヌーベルフランス、ニューイングランド、そしてニューヨークの国境と辺境の入植地は戦前の状態を維持という結論に達した。しかし、北アメリカでの決着は現地の判断にゆだねられたため、その後もまだ戦闘は続いた。