セントジョンズの包囲戦は、1705年の冬、(プレザンス)総督のが、ニューファンドランド島の攻略を目論んで、失敗に終わった戦いである。1705年の1月末から3月の始めにかけて、正規兵、民兵、そしてインディアン兵を率いたスーベルカスは、セントジョンズの町の大半を焼き払って、セントジョンズ砦を5週間包囲したが、功を奏せず、物資と弾薬が切れた後に包囲を解いた。 この包囲戦は、が、はっきりした目的もないまま行った、アヴァロン半島侵攻作戦の再現ともいえる大規模な遠征であった。多くの過疎地にあるイングランド人集落が、スーベルカスの軍によって破壊され、これにイングランド系住民が報復した。英仏双方の漁業は、戦いの間中そのあおりを受け、最終的にフランスの漁業権の割譲で戦いは幕を閉じた。