龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。 天台宗の古寺があったと伝わる地に、天和3年(1683年)に雲林寺5世和尚により開かれた。その後、雲林寺6世、雲林寺7世が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。 明治3年(1870年)、苗木藩の廃仏毀釈により廃寺となる。 最後の住持であった仁応和尚は、明治28年(1895年)に松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。大正15年(1926年)、旧称に復する。 近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。

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  • 龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。 天台宗の古寺があったと伝わる地に、天和3年(1683年)に雲林寺5世和尚により開かれた。その後、雲林寺6世、雲林寺7世が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。 明治3年(1870年)、苗木藩の廃仏毀釈により廃寺となる。 最後の住持であった仁応和尚は、明治28年(1895年)に松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。大正15年(1926年)、旧称に復する。 近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。 (ja)
  • 龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。 天台宗の古寺があったと伝わる地に、天和3年(1683年)に雲林寺5世和尚により開かれた。その後、雲林寺6世、雲林寺7世が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。 明治3年(1870年)、苗木藩の廃仏毀釈により廃寺となる。 最後の住持であった仁応和尚は、明治28年(1895年)に松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。大正15年(1926年)、旧称に復する。 近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。 (ja)
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  • 龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。 天台宗の古寺があったと伝わる地に、天和3年(1683年)に雲林寺5世和尚により開かれた。その後、雲林寺6世、雲林寺7世が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。 明治3年(1870年)、苗木藩の廃仏毀釈により廃寺となる。 最後の住持であった仁応和尚は、明治28年(1895年)に松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。大正15年(1926年)、旧称に復する。 近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。 (ja)
  • 龍気寺(りゅうきじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。旧苗木藩領に存在する寺院のうち、唯一廃仏毀釈前の寺号を名乗る。 天台宗の古寺があったと伝わる地に、天和3年(1683年)に雲林寺5世和尚により開かれた。その後、雲林寺6世、雲林寺7世が住持を務めており、雲林寺住持の隠居寺としての役割を担っていた。文化4年(1807年)、切井の住民であった山口亀助によって、背後にある山に三十三観音の石仏と西国三十三ヶ所のお砂ふみ所を設けた。山口亀助が医者の隠居であったことから、背後の山を隠居山、観音霊場を隠居山観音と称した。 明治3年(1870年)、苗木藩の廃仏毀釈により廃寺となる。 最後の住持であった仁応和尚は、明治28年(1895年)に松島瑞巌寺の塔頭で無住となっていた五葉庵を切井に移転させる形で、再興を果たした。大正15年(1926年)、旧称に復する。 近隣で信仰され、廃仏毀釈の際に隠された仏像を複数所蔵するほか、岐阜県の文化財に指定されている来歴不明の応永年間に造られた銅製鰐口を有する。 (ja)
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