鴻池道億(こうのいけどうおく、明暦元年12月6日(1656年1月2日) - 元文元年9月6日(1736年10月7日))は、 出雲国の戦国武将山中幸盛の玄孫。山中善兵衛家3代目。近世の大坂商人。茶道具の目利きで茶人としても知られる。豪商鴻池家の一族でと木村治郎右衛門の娘の間に生まれた。初名は善三郎。名を彌三兵衛、秀季。号に光漸、凡斎など。老年は入道して、萬峯道億居士と称し82歳の長寿を保ち京都にて没した。 または山中 道億(やまなか どうおく)ともいう。 墓所は大阪市中央区中寺町の境内墓地、京都市東山区の泉涌寺塔頭戒光寺墓地にある。