鈴木 貫一(すずき かんいち、天保14年2月12日(1843年3月12日) - 1914年(大正3年)6月29日)は、明治時代の外交官。彦根藩出身。幕末に横浜でジェームス・バラに英語を学び、キリスト教に入信した。サンフランシスコに留学後、太政官左院視察団としてパリに渡り、在フランス日本公使館に勤めたが、公金を横領して帰国服役した。出獄後仏教に転向し、故郷彦根で金亀育児院を経営した。