赤沼藩(あかぬまはん)は、江戸時代前期の短期間存在した藩。武蔵国を中心に分散した所領を有し、石高は1万6000石。1693年、大身旗本の内藤正勝が加増を受けて大名となり、武蔵国比企郡赤沼村(現在の埼玉県比企郡鳩山町赤沼)に居所を定めた。2代目の内藤正友は常陸国那珂郡高森村(現在の茨城県桜川市高森)に居所を移したというが、1703年に関東に分散した領地を信濃国にまとめられて岩村田藩に移封となった。 『寛政重修諸家譜』では内藤正勝の居所を「赤松村」と記載しており、これに基づいてかつては赤松藩と記述された。高森陣屋に移転したとして、移転後を高森藩とする事典類もある。本項では、立藩から岩村田への移封までの時期を一括して扱う。