覇王(はおう)とは徳によらず「武力」や「策略」で諸侯を従えて天下を治める人のことをいう。 元々は孟子によって提唱された覇道と王道から生まれた言葉。儒家によって理想とされた夏・殷・周のように徳を持って世を治めることを王道と呼び、それを遂行する者を王者と呼んだ。また、春秋時代の諸侯のように知力や武力を持って世を治めることをと呼び、それを遂行する者を覇者と呼んだ。 孟子は王道こそを理想とし、覇道を賎しいものとした。これを尊王賎覇と言う。 本来の「覇」は諸侯のリーダーとして周王朝から公認された肩書であり、孟子がいうような王道に背いた者という意味はなかった。春秋末期に越王句践が王道を実践して周王朝から覇者として認められたので「覇王」と称されたように、当時は覇と王は対立する概念ではなかった。秦滅亡後に項羽が西楚の覇王を名乗ったのも同じである。 しかし、のちに朱子が『孟子』を取り上げ四書五経の四書に加えてから、孟子の説は儒教の主流になった。 孟子のいう尊王賎覇の考えが日本では、王=天皇・覇=武家政権(源氏・平氏・北条氏・足利氏・細川氏・三好氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏)と解釈された。

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  • 覇王(はおう)とは徳によらず「武力」や「策略」で諸侯を従えて天下を治める人のことをいう。 元々は孟子によって提唱された覇道と王道から生まれた言葉。儒家によって理想とされた夏・殷・周のように徳を持って世を治めることを王道と呼び、それを遂行する者を王者と呼んだ。また、春秋時代の諸侯のように知力や武力を持って世を治めることをと呼び、それを遂行する者を覇者と呼んだ。 孟子は王道こそを理想とし、覇道を賎しいものとした。これを尊王賎覇と言う。 本来の「覇」は諸侯のリーダーとして周王朝から公認された肩書であり、孟子がいうような王道に背いた者という意味はなかった。春秋末期に越王句践が王道を実践して周王朝から覇者として認められたので「覇王」と称されたように、当時は覇と王は対立する概念ではなかった。秦滅亡後に項羽が西楚の覇王を名乗ったのも同じである。 しかし、のちに朱子が『孟子』を取り上げ四書五経の四書に加えてから、孟子の説は儒教の主流になった。 孟子のいう尊王賎覇の考えが日本では、王=天皇・覇=武家政権(源氏・平氏・北条氏・足利氏・細川氏・三好氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏)と解釈された。 (ja)
  • 覇王(はおう)とは徳によらず「武力」や「策略」で諸侯を従えて天下を治める人のことをいう。 元々は孟子によって提唱された覇道と王道から生まれた言葉。儒家によって理想とされた夏・殷・周のように徳を持って世を治めることを王道と呼び、それを遂行する者を王者と呼んだ。また、春秋時代の諸侯のように知力や武力を持って世を治めることをと呼び、それを遂行する者を覇者と呼んだ。 孟子は王道こそを理想とし、覇道を賎しいものとした。これを尊王賎覇と言う。 本来の「覇」は諸侯のリーダーとして周王朝から公認された肩書であり、孟子がいうような王道に背いた者という意味はなかった。春秋末期に越王句践が王道を実践して周王朝から覇者として認められたので「覇王」と称されたように、当時は覇と王は対立する概念ではなかった。秦滅亡後に項羽が西楚の覇王を名乗ったのも同じである。 しかし、のちに朱子が『孟子』を取り上げ四書五経の四書に加えてから、孟子の説は儒教の主流になった。 孟子のいう尊王賎覇の考えが日本では、王=天皇・覇=武家政権(源氏・平氏・北条氏・足利氏・細川氏・三好氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏)と解釈された。 (ja)
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  • 覇王(はおう)とは徳によらず「武力」や「策略」で諸侯を従えて天下を治める人のことをいう。 元々は孟子によって提唱された覇道と王道から生まれた言葉。儒家によって理想とされた夏・殷・周のように徳を持って世を治めることを王道と呼び、それを遂行する者を王者と呼んだ。また、春秋時代の諸侯のように知力や武力を持って世を治めることをと呼び、それを遂行する者を覇者と呼んだ。 孟子は王道こそを理想とし、覇道を賎しいものとした。これを尊王賎覇と言う。 本来の「覇」は諸侯のリーダーとして周王朝から公認された肩書であり、孟子がいうような王道に背いた者という意味はなかった。春秋末期に越王句践が王道を実践して周王朝から覇者として認められたので「覇王」と称されたように、当時は覇と王は対立する概念ではなかった。秦滅亡後に項羽が西楚の覇王を名乗ったのも同じである。 しかし、のちに朱子が『孟子』を取り上げ四書五経の四書に加えてから、孟子の説は儒教の主流になった。 孟子のいう尊王賎覇の考えが日本では、王=天皇・覇=武家政権(源氏・平氏・北条氏・足利氏・細川氏・三好氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏)と解釈された。 (ja)
  • 覇王(はおう)とは徳によらず「武力」や「策略」で諸侯を従えて天下を治める人のことをいう。 元々は孟子によって提唱された覇道と王道から生まれた言葉。儒家によって理想とされた夏・殷・周のように徳を持って世を治めることを王道と呼び、それを遂行する者を王者と呼んだ。また、春秋時代の諸侯のように知力や武力を持って世を治めることをと呼び、それを遂行する者を覇者と呼んだ。 孟子は王道こそを理想とし、覇道を賎しいものとした。これを尊王賎覇と言う。 本来の「覇」は諸侯のリーダーとして周王朝から公認された肩書であり、孟子がいうような王道に背いた者という意味はなかった。春秋末期に越王句践が王道を実践して周王朝から覇者として認められたので「覇王」と称されたように、当時は覇と王は対立する概念ではなかった。秦滅亡後に項羽が西楚の覇王を名乗ったのも同じである。 しかし、のちに朱子が『孟子』を取り上げ四書五経の四書に加えてから、孟子の説は儒教の主流になった。 孟子のいう尊王賎覇の考えが日本では、王=天皇・覇=武家政権(源氏・平氏・北条氏・足利氏・細川氏・三好氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏)と解釈された。 (ja)
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  • 覇王 (ja)
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