荒川キヨシ・小唄志津子(あらかわきよし・こうたしずこ)は、大正・昭和期に活躍した日本の漫才師。 キヨシの長身で細身の体、志津子の巨体のコントラストが受けた。漫才という形を取っているがほとんどがキヨシの一人舞台でセンターマイクの中央に立ち志津子が横で椅子に腰掛け三味線を弾いて伴奏する程度。 名前の通り主に小唄・都々逸、キヨシの阿呆陀羅経に最後は小さな木魚を取り出し叩く音曲漫才で、戦後、桜川末子・松鶴家千代八や桜津多子・桜山梅夫、浪花家市松・芳子、五條家菊二・松枝等と共に数少ない音曲漫才として角座などで人気になった。晩年は、名古屋の大須演芸場に出演した。 キヨシの愛用の木魚は喜味こいしが死後譲り受けている。現在は大阪府立上方演芸資料館に寄贈されている。キヨシは何故か舞台で必ずポーチを携えていた。中には貴重品が入っていたようである。