竹間 忠三(ちくま ちゅうぞう、生年不明 - 1945年(昭和20年)2月1日)は、日本の海軍軍人。1943年(昭和18年)初め頃に魚雷を用いた肉弾攻撃構想を上申した。「呂115」潜水艦長として戦死。最終階級は海軍少佐。