立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。 * 初代立川善馬 - 後の。 * 二代目立川善馬 - (? - 1867年8月7日?)初代門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。三代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 * 三代目立川善馬 - (生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに三代目善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 * 四代目立川善馬 - ( ? - 1905年1月9日)、本名∶森口(もりぐち) 啓三郎(けいざぶろう)。二代目門下で立川善之助、のちに四代目善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 * 五代目立川善馬 - 当該項目で記述。 六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。

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  • 立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。 * 初代立川善馬 - 後の。 * 二代目立川善馬 - (? - 1867年8月7日?)初代門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。三代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 * 三代目立川善馬 - (生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに三代目善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 * 四代目立川善馬 - ( ? - 1905年1月9日)、本名∶森口(もりぐち) 啓三郎(けいざぶろう)。二代目門下で立川善之助、のちに四代目善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 * 五代目立川善馬 - 当該項目で記述。 六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。 (ja)
  • 立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。 * 初代立川善馬 - 後の。 * 二代目立川善馬 - (? - 1867年8月7日?)初代門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。三代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 * 三代目立川善馬 - (生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに三代目善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 * 四代目立川善馬 - ( ? - 1905年1月9日)、本名∶森口(もりぐち) 啓三郎(けいざぶろう)。二代目門下で立川善之助、のちに四代目善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 * 五代目立川善馬 - 当該項目で記述。 六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。 (ja)
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  • 舌出し三番叟 (ja)
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  • ・東京都世田谷区 (ja)
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  • 第10回NHK新人落語コンクール 最優秀賞(1981年) (ja)
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  • 落語協会(1971年 - 1983年) (ja)
  • 落語立川流(1983年 - ) (ja)
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  • 丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。 (ja)
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  • 六代目 ぜん (ja)
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  • 立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。 * 初代立川善馬 - 後の。 * 二代目立川善馬 - (? - 1867年8月7日?)初代門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。三代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 * 三代目立川善馬 - (生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに三代目善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 * 四代目立川善馬 - ( ? - 1905年1月9日)、本名∶森口(もりぐち) 啓三郎(けいざぶろう)。二代目門下で立川善之助、のちに四代目善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 * 五代目立川善馬 - 当該項目で記述。 六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。 (ja)
  • 立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。五代目までは立川 善馬(または三遊亭 善馬)と名乗り当代が現在の名前に改名している。当代は六代目とされるが代々不明な点が多い。 * 初代立川善馬 - 後の。 * 二代目立川善馬 - (? - 1867年8月7日?)初代門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。三代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 * 三代目立川善馬 - (生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに三代目善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 * 四代目立川善馬 - ( ? - 1905年1月9日)、本名∶森口(もりぐち) 啓三郎(けいざぶろう)。二代目門下で立川善之助、のちに四代目善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 * 五代目立川善馬 - 当該項目で記述。 六代目 立川 ぜん馬(1948年9月22日 - )は東京都世田谷区出身の落語家。落語立川流所属。明治大学卒業。本名は三須 秀海。出囃子は「舌出し三番叟」。当代は柳派に属する。 (ja)
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  • 立川ぜん馬 (ja)
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