禰󠄀津御寮人(ねづごりょうにん、大永7年(1527年)? - ?)は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の当主武田晴信(信玄)の側室。信濃国小県郡(現長野県東御市祢津)の国衆であるの娘。出子に武田信清がいる。 武田晴信は天文11年(1542年)に家督を相続し、同年には信濃諏訪氏を征服し信濃侵攻を本格化させる。晴信には天文5年に輿入れした正室三条夫人のほか、側室として天文11年末に輿入れした信濃諏訪氏の娘(諏訪御料人)のほか、武田一族の油川氏の娘(油川夫人)がいる。 祢津氏は天文12年(1543年)に武田方に帰属しており、『高白斎記』に拠れば「天文12年12月15日条に禰津より息女が晴信に入嫁した」としている。これを禰󠄀津御寮人の入嫁記事とする説もあるが、禰󠄀津御寮人の出子は永禄3年(1560年)出生の信清が確認されるため、これは諏訪御料人を指すものと考えられている。 その後の動向は不明であるが、信清は僧籍に入り、武田家滅亡の後、異母姉・菊姫が上杉景勝の正室となっていた縁を頼り、上杉家に仕えることになる。

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  • 禰󠄀津御寮人(ねづごりょうにん、大永7年(1527年)? - ?)は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の当主武田晴信(信玄)の側室。信濃国小県郡(現長野県東御市祢津)の国衆であるの娘。出子に武田信清がいる。 武田晴信は天文11年(1542年)に家督を相続し、同年には信濃諏訪氏を征服し信濃侵攻を本格化させる。晴信には天文5年に輿入れした正室三条夫人のほか、側室として天文11年末に輿入れした信濃諏訪氏の娘(諏訪御料人)のほか、武田一族の油川氏の娘(油川夫人)がいる。 祢津氏は天文12年(1543年)に武田方に帰属しており、『高白斎記』に拠れば「天文12年12月15日条に禰津より息女が晴信に入嫁した」としている。これを禰󠄀津御寮人の入嫁記事とする説もあるが、禰󠄀津御寮人の出子は永禄3年(1560年)出生の信清が確認されるため、これは諏訪御料人を指すものと考えられている。 その後の動向は不明であるが、信清は僧籍に入り、武田家滅亡の後、異母姉・菊姫が上杉景勝の正室となっていた縁を頼り、上杉家に仕えることになる。 (ja)
  • 禰󠄀津御寮人(ねづごりょうにん、大永7年(1527年)? - ?)は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の当主武田晴信(信玄)の側室。信濃国小県郡(現長野県東御市祢津)の国衆であるの娘。出子に武田信清がいる。 武田晴信は天文11年(1542年)に家督を相続し、同年には信濃諏訪氏を征服し信濃侵攻を本格化させる。晴信には天文5年に輿入れした正室三条夫人のほか、側室として天文11年末に輿入れした信濃諏訪氏の娘(諏訪御料人)のほか、武田一族の油川氏の娘(油川夫人)がいる。 祢津氏は天文12年(1543年)に武田方に帰属しており、『高白斎記』に拠れば「天文12年12月15日条に禰津より息女が晴信に入嫁した」としている。これを禰󠄀津御寮人の入嫁記事とする説もあるが、禰󠄀津御寮人の出子は永禄3年(1560年)出生の信清が確認されるため、これは諏訪御料人を指すものと考えられている。 その後の動向は不明であるが、信清は僧籍に入り、武田家滅亡の後、異母姉・菊姫が上杉景勝の正室となっていた縁を頼り、上杉家に仕えることになる。 (ja)
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  • 禰󠄀津御寮人(ねづごりょうにん、大永7年(1527年)? - ?)は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の当主武田晴信(信玄)の側室。信濃国小県郡(現長野県東御市祢津)の国衆であるの娘。出子に武田信清がいる。 武田晴信は天文11年(1542年)に家督を相続し、同年には信濃諏訪氏を征服し信濃侵攻を本格化させる。晴信には天文5年に輿入れした正室三条夫人のほか、側室として天文11年末に輿入れした信濃諏訪氏の娘(諏訪御料人)のほか、武田一族の油川氏の娘(油川夫人)がいる。 祢津氏は天文12年(1543年)に武田方に帰属しており、『高白斎記』に拠れば「天文12年12月15日条に禰津より息女が晴信に入嫁した」としている。これを禰󠄀津御寮人の入嫁記事とする説もあるが、禰󠄀津御寮人の出子は永禄3年(1560年)出生の信清が確認されるため、これは諏訪御料人を指すものと考えられている。 その後の動向は不明であるが、信清は僧籍に入り、武田家滅亡の後、異母姉・菊姫が上杉景勝の正室となっていた縁を頼り、上杉家に仕えることになる。 (ja)
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  • 禰津御寮人 (ja)
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