神文王(しんぶんおう、生年不詳 - 692年8月19日)は、新羅の第31代の王(在位:681年 – 692年)であり、姓は金、諱は政明(『三国史記』新羅本紀・神文王紀の分注には明之ともいう)、字は日炤。先代の文武王の長子であり、母は慈儀王后。王妃は初め蘇判(3等官)の金欽突の娘であったが、即位直後に金欽突が謀反の疑いで粛清されたために宮中を追われ、後に一吉飡(7等官)の金欽運(同・分注には金欽雲ともいう)の娘を迎えて神穆王后とした。665年に太子に立てられており、681年7月に先王が死去すると王位に就いた。三国統一後の唐の撤退を受けて、国内統治の基盤を固め、王権の強化に努めた。