白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 -)は、映画評論家。神奈川県川崎市出身。 1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。 邦画礼賛派で、黒澤明、山田洋次などを評価する一方、白黒時代の邦画の評価に力を入れる。1976年から3年間、東京12チャンネルで「日本映画名作劇場」の解説を担当。 1987年から、映画「無法松の一生」(1943年)の、戦前、戦後の二重検閲場面を復元し、各地で公開・講演するパフォーマンスを実施。 湯布院映画祭、、「福祉映画祭 IN NAGOYA」の創設にかかわる。 2002年から3年間、東京芸術大学で特別講義「日本の古典映画」を行う。2004年文化庁映画賞受賞。

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  • 白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 -)は、映画評論家。神奈川県川崎市出身。 1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。 邦画礼賛派で、黒澤明、山田洋次などを評価する一方、白黒時代の邦画の評価に力を入れる。1976年から3年間、東京12チャンネルで「日本映画名作劇場」の解説を担当。 1987年から、映画「無法松の一生」(1943年)の、戦前、戦後の二重検閲場面を復元し、各地で公開・講演するパフォーマンスを実施。 湯布院映画祭、、「福祉映画祭 IN NAGOYA」の創設にかかわる。 2002年から3年間、東京芸術大学で特別講義「日本の古典映画」を行う。2004年文化庁映画賞受賞。 (ja)
  • 白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 -)は、映画評論家。神奈川県川崎市出身。 1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。 邦画礼賛派で、黒澤明、山田洋次などを評価する一方、白黒時代の邦画の評価に力を入れる。1976年から3年間、東京12チャンネルで「日本映画名作劇場」の解説を担当。 1987年から、映画「無法松の一生」(1943年)の、戦前、戦後の二重検閲場面を復元し、各地で公開・講演するパフォーマンスを実施。 湯布院映画祭、、「福祉映画祭 IN NAGOYA」の創設にかかわる。 2002年から3年間、東京芸術大学で特別講義「日本の古典映画」を行う。2004年文化庁映画賞受賞。 (ja)
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  • 白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 -)は、映画評論家。神奈川県川崎市出身。 1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。 邦画礼賛派で、黒澤明、山田洋次などを評価する一方、白黒時代の邦画の評価に力を入れる。1976年から3年間、東京12チャンネルで「日本映画名作劇場」の解説を担当。 1987年から、映画「無法松の一生」(1943年)の、戦前、戦後の二重検閲場面を復元し、各地で公開・講演するパフォーマンスを実施。 湯布院映画祭、、「福祉映画祭 IN NAGOYA」の創設にかかわる。 2002年から3年間、東京芸術大学で特別講義「日本の古典映画」を行う。2004年文化庁映画賞受賞。 (ja)
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