生瀬騒動(なませそうどう)は、江戸時代初期の慶長14年(1609年)秋に、水戸藩領の常陸国久慈郡小生瀬村(現:茨城県大子町小生瀬)で発生したとされる事件。 年貢納入を巡る農民と藩役人の行き違いの結果、最後は水戸藩が小生瀬村の住民を皆殺しにしたという伝承があるが、発生年については上記のほかに、慶長7年(1602年)、元和3年(1617年)、元和7年(1621年)の諸説がある。生瀬一揆(なませいっき)、生瀬乱(なませのらん)ともいう。