熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。 熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎の大工が大浦居留地のデント商会建物(旧長崎イギリス領事館の先代)を手本に造った。コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字社の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。 2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。熊本市は建物の修復は困難としている。しかし、地震後初の保存修理検討委員会が現地を開き、2020年度の再建再開を目指して5億円をかけ復旧を図る方針を了承した。場所を旧熊本市立体育館跡地(水前寺江津湖公園の水前寺地区)に移して再建工事が行われている。

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  • 熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。 熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎の大工が大浦居留地のデント商会建物(旧長崎イギリス領事館の先代)を手本に造った。コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字社の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。 2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。熊本市は建物の修復は困難としている。しかし、地震後初の保存修理検討委員会が現地を開き、2020年度の再建再開を目指して5億円をかけ復旧を図る方針を了承した。場所を旧熊本市立体育館跡地(水前寺江津湖公園の水前寺地区)に移して再建工事が行われている。 2017年(平成29年)3月に熊本県立大学が「ジェーンズ邸復興プロジェクト」を始動、熊本地震で被災した文化財を「ペーパークラフトを作って、知って、そして救おう!」をテーマに再建の支援を行う。 (ja)
  • 熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。 熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎の大工が大浦居留地のデント商会建物(旧長崎イギリス領事館の先代)を手本に造った。コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字社の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。 2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。熊本市は建物の修復は困難としている。しかし、地震後初の保存修理検討委員会が現地を開き、2020年度の再建再開を目指して5億円をかけ復旧を図る方針を了承した。場所を旧熊本市立体育館跡地(水前寺江津湖公園の水前寺地区)に移して再建工事が行われている。 2017年(平成29年)3月に熊本県立大学が「ジェーンズ邸復興プロジェクト」を始動、熊本地震で被災した文化財を「ペーパークラフトを作って、知って、そして救おう!」をテーマに再建の支援を行う。 (ja)
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  • 熊本県熊本市中央区水前寺公園22番16号 (ja)
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  • 場所を移転して2023(令和5)年度中に再開予定。 (ja)
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  • 熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。 熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎の大工が大浦居留地のデント商会建物(旧長崎イギリス領事館の先代)を手本に造った。コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字社の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。 2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。熊本市は建物の修復は困難としている。しかし、地震後初の保存修理検討委員会が現地を開き、2020年度の再建再開を目指して5億円をかけ復旧を図る方針を了承した。場所を旧熊本市立体育館跡地(水前寺江津湖公園の水前寺地区)に移して再建工事が行われている。 (ja)
  • 熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。 熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎の大工が大浦居留地のデント商会建物(旧長崎イギリス領事館の先代)を手本に造った。コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字社の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。 2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。熊本市は建物の修復は困難としている。しかし、地震後初の保存修理検討委員会が現地を開き、2020年度の再建再開を目指して5億円をかけ復旧を図る方針を了承した。場所を旧熊本市立体育館跡地(水前寺江津湖公園の水前寺地区)に移して再建工事が行われている。 (ja)
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