湖月会(こげつかい)は、日露戦争の開戦を推進・画策した外務省、陸軍、海軍の少壮有志によるグループ。名称は1903年(明治36年)5月29日に新橋の湖月楼の土蔵で初会合を開いたことに因み、活動中の名称ではなかったが、その後の呼称となった。メンバーには諸説があり途中参加もあった。1904年(明治38年)2月の日露開戦により、目的を達して自然消滅した。