海軍高山流抜刀術(かいぐんたかやまりゅうばっとうじゅつ)は、大日本帝国海軍軍属で武道研究者の高山政吉が昭和初期に確立した抜刀術の流派。別称は、海軍軍刀術、高山流抜刀術、高山流。 海軍機関学校を中心に教授されたほか、陸軍でも高山の操刀術が採用されたため、陸軍戸山学校で生まれた戸山流居合道の型にも大きな影響を与えたが、戦後は軍の解体・武道教育の禁止などの原因が重なって衰退した。