水運車(すいうんしゃ)とは、貨車の一種である。種別記号はミズ(水)の「ミ」である。 1953年(昭和28年)4月8日の車両称号規程改正(総裁達第225号)時に従来の水槽車より名称が変更された。 蒸気機関車の運転においてはボイラーの目詰まりによる機関車故障を防ぐために不純物のない水が必要となるため、水質の悪い地域にある機関区へはこの水運車を使って水を輸送していた。大半の車が用途廃止(廃車)となった蒸気機関車の炭水車を最小限の改造にて済ませ転用した。また水運車として新規製作された車の形状はタンク車と似たような形状で、タンク型の荷台が付いている。 全車が専属貨車として運用され、常備駅が定められた。 無煙化によって蒸気機関車が全廃されたあとは必要がなくなり、1977年(昭和52年)の時点でミム100形26両を残すのみとなった。 水運車の変わった利用として「昭和53-54年福岡市渇水」の際に運行された、いわゆる「水列車」がある。九州内の蒸気機関車は1975年(昭和50年)3月に廃止されていたが、残っていた水運車を活用した数両編成の列車が仕立てられ、大分などから当時の(貨)福岡港駅へ水を運んだ。 1986年(昭和61年)、ミム100形の廃車をもって、水運車はJRに引き継がれることなく形式消滅している。

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  • 水運車(すいうんしゃ)とは、貨車の一種である。種別記号はミズ(水)の「ミ」である。 1953年(昭和28年)4月8日の車両称号規程改正(総裁達第225号)時に従来の水槽車より名称が変更された。 蒸気機関車の運転においてはボイラーの目詰まりによる機関車故障を防ぐために不純物のない水が必要となるため、水質の悪い地域にある機関区へはこの水運車を使って水を輸送していた。大半の車が用途廃止(廃車)となった蒸気機関車の炭水車を最小限の改造にて済ませ転用した。また水運車として新規製作された車の形状はタンク車と似たような形状で、タンク型の荷台が付いている。 全車が専属貨車として運用され、常備駅が定められた。 無煙化によって蒸気機関車が全廃されたあとは必要がなくなり、1977年(昭和52年)の時点でミム100形26両を残すのみとなった。 水運車の変わった利用として「昭和53-54年福岡市渇水」の際に運行された、いわゆる「水列車」がある。九州内の蒸気機関車は1975年(昭和50年)3月に廃止されていたが、残っていた水運車を活用した数両編成の列車が仕立てられ、大分などから当時の(貨)福岡港駅へ水を運んだ。 1986年(昭和61年)、ミム100形の廃車をもって、水運車はJRに引き継がれることなく形式消滅している。 (ja)
  • 水運車(すいうんしゃ)とは、貨車の一種である。種別記号はミズ(水)の「ミ」である。 1953年(昭和28年)4月8日の車両称号規程改正(総裁達第225号)時に従来の水槽車より名称が変更された。 蒸気機関車の運転においてはボイラーの目詰まりによる機関車故障を防ぐために不純物のない水が必要となるため、水質の悪い地域にある機関区へはこの水運車を使って水を輸送していた。大半の車が用途廃止(廃車)となった蒸気機関車の炭水車を最小限の改造にて済ませ転用した。また水運車として新規製作された車の形状はタンク車と似たような形状で、タンク型の荷台が付いている。 全車が専属貨車として運用され、常備駅が定められた。 無煙化によって蒸気機関車が全廃されたあとは必要がなくなり、1977年(昭和52年)の時点でミム100形26両を残すのみとなった。 水運車の変わった利用として「昭和53-54年福岡市渇水」の際に運行された、いわゆる「水列車」がある。九州内の蒸気機関車は1975年(昭和50年)3月に廃止されていたが、残っていた水運車を活用した数両編成の列車が仕立てられ、大分などから当時の(貨)福岡港駅へ水を運んだ。 1986年(昭和61年)、ミム100形の廃車をもって、水運車はJRに引き継がれることなく形式消滅している。 (ja)
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  • 水運車(すいうんしゃ)とは、貨車の一種である。種別記号はミズ(水)の「ミ」である。 1953年(昭和28年)4月8日の車両称号規程改正(総裁達第225号)時に従来の水槽車より名称が変更された。 蒸気機関車の運転においてはボイラーの目詰まりによる機関車故障を防ぐために不純物のない水が必要となるため、水質の悪い地域にある機関区へはこの水運車を使って水を輸送していた。大半の車が用途廃止(廃車)となった蒸気機関車の炭水車を最小限の改造にて済ませ転用した。また水運車として新規製作された車の形状はタンク車と似たような形状で、タンク型の荷台が付いている。 全車が専属貨車として運用され、常備駅が定められた。 無煙化によって蒸気機関車が全廃されたあとは必要がなくなり、1977年(昭和52年)の時点でミム100形26両を残すのみとなった。 水運車の変わった利用として「昭和53-54年福岡市渇水」の際に運行された、いわゆる「水列車」がある。九州内の蒸気機関車は1975年(昭和50年)3月に廃止されていたが、残っていた水運車を活用した数両編成の列車が仕立てられ、大分などから当時の(貨)福岡港駅へ水を運んだ。 1986年(昭和61年)、ミム100形の廃車をもって、水運車はJRに引き継がれることなく形式消滅している。 (ja)
  • 水運車(すいうんしゃ)とは、貨車の一種である。種別記号はミズ(水)の「ミ」である。 1953年(昭和28年)4月8日の車両称号規程改正(総裁達第225号)時に従来の水槽車より名称が変更された。 蒸気機関車の運転においてはボイラーの目詰まりによる機関車故障を防ぐために不純物のない水が必要となるため、水質の悪い地域にある機関区へはこの水運車を使って水を輸送していた。大半の車が用途廃止(廃車)となった蒸気機関車の炭水車を最小限の改造にて済ませ転用した。また水運車として新規製作された車の形状はタンク車と似たような形状で、タンク型の荷台が付いている。 全車が専属貨車として運用され、常備駅が定められた。 無煙化によって蒸気機関車が全廃されたあとは必要がなくなり、1977年(昭和52年)の時点でミム100形26両を残すのみとなった。 水運車の変わった利用として「昭和53-54年福岡市渇水」の際に運行された、いわゆる「水列車」がある。九州内の蒸気機関車は1975年(昭和50年)3月に廃止されていたが、残っていた水運車を活用した数両編成の列車が仕立てられ、大分などから当時の(貨)福岡港駅へ水を運んだ。 1986年(昭和61年)、ミム100形の廃車をもって、水運車はJRに引き継がれることなく形式消滅している。 (ja)
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  • 水運車 (ja)
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