智洞(ちどう、1736年(元文元年)- 1805年12月12日(文化2年10月22日))は、江戸時代中期から後期にかけての浄土真宗本願寺派の学僧。号は桃花房(桃華坊)。諡は応現院。 西本願寺第7代能化職につき、三業帰命説を説いたが、三業惑乱の論争に敗れ、江戸で獄死した。