明治26年の台風(めいじ26ねんのたいふう)は、1893年(明治26年)10月14日に西日本一帯を襲った大型台風である。岡山県などで特に甚大な被害が出た。 九州から四国の南岸を台風が通過し、近畿地方以西の各地に風水害がもたらされた。特に被害が大きかったのは熊本県や大分県、佐賀県、岡山県や島根県、鳥取県などで、九州で漁船の遭難が相次いだほか、岡山県では三大河川(吉井川・旭川・高梁川)が氾濫し、流域でも土砂災害が多発した。島根県の宍道湖も氾濫し松江市が浸水するなど、大水害となった。死者の数は、熊本県で827人、岡山県で423人、鳥取県で328人、大分県で266人、長崎県で136人、佐賀県で64人などであった。岡山県では60,000棟以上の建物が浸水・損壊した。特に高梁川流域では、上流の高梁市成羽町で山崩れが起き、下流でも倉敷市船穂町など堤防があちこちで決壊。広範囲が浸水した。当時高梁川は、下流で東西に分流していたが、この台風による水害以降、東西の分流は一本化された。

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  • 明治26年の台風(めいじ26ねんのたいふう)は、1893年(明治26年)10月14日に西日本一帯を襲った大型台風である。岡山県などで特に甚大な被害が出た。 九州から四国の南岸を台風が通過し、近畿地方以西の各地に風水害がもたらされた。特に被害が大きかったのは熊本県や大分県、佐賀県、岡山県や島根県、鳥取県などで、九州で漁船の遭難が相次いだほか、岡山県では三大河川(吉井川・旭川・高梁川)が氾濫し、流域でも土砂災害が多発した。島根県の宍道湖も氾濫し松江市が浸水するなど、大水害となった。死者の数は、熊本県で827人、岡山県で423人、鳥取県で328人、大分県で266人、長崎県で136人、佐賀県で64人などであった。岡山県では60,000棟以上の建物が浸水・損壊した。特に高梁川流域では、上流の高梁市成羽町で山崩れが起き、下流でも倉敷市船穂町など堤防があちこちで決壊。広範囲が浸水した。当時高梁川は、下流で東西に分流していたが、この台風による水害以降、東西の分流は一本化された。 (ja)
  • 明治26年の台風(めいじ26ねんのたいふう)は、1893年(明治26年)10月14日に西日本一帯を襲った大型台風である。岡山県などで特に甚大な被害が出た。 九州から四国の南岸を台風が通過し、近畿地方以西の各地に風水害がもたらされた。特に被害が大きかったのは熊本県や大分県、佐賀県、岡山県や島根県、鳥取県などで、九州で漁船の遭難が相次いだほか、岡山県では三大河川(吉井川・旭川・高梁川)が氾濫し、流域でも土砂災害が多発した。島根県の宍道湖も氾濫し松江市が浸水するなど、大水害となった。死者の数は、熊本県で827人、岡山県で423人、鳥取県で328人、大分県で266人、長崎県で136人、佐賀県で64人などであった。岡山県では60,000棟以上の建物が浸水・損壊した。特に高梁川流域では、上流の高梁市成羽町で山崩れが起き、下流でも倉敷市船穂町など堤防があちこちで決壊。広範囲が浸水した。当時高梁川は、下流で東西に分流していたが、この台風による水害以降、東西の分流は一本化された。 (ja)
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  • 明治26年の台風(めいじ26ねんのたいふう)は、1893年(明治26年)10月14日に西日本一帯を襲った大型台風である。岡山県などで特に甚大な被害が出た。 九州から四国の南岸を台風が通過し、近畿地方以西の各地に風水害がもたらされた。特に被害が大きかったのは熊本県や大分県、佐賀県、岡山県や島根県、鳥取県などで、九州で漁船の遭難が相次いだほか、岡山県では三大河川(吉井川・旭川・高梁川)が氾濫し、流域でも土砂災害が多発した。島根県の宍道湖も氾濫し松江市が浸水するなど、大水害となった。死者の数は、熊本県で827人、岡山県で423人、鳥取県で328人、大分県で266人、長崎県で136人、佐賀県で64人などであった。岡山県では60,000棟以上の建物が浸水・損壊した。特に高梁川流域では、上流の高梁市成羽町で山崩れが起き、下流でも倉敷市船穂町など堤防があちこちで決壊。広範囲が浸水した。当時高梁川は、下流で東西に分流していたが、この台風による水害以降、東西の分流は一本化された。 (ja)
  • 明治26年の台風(めいじ26ねんのたいふう)は、1893年(明治26年)10月14日に西日本一帯を襲った大型台風である。岡山県などで特に甚大な被害が出た。 九州から四国の南岸を台風が通過し、近畿地方以西の各地に風水害がもたらされた。特に被害が大きかったのは熊本県や大分県、佐賀県、岡山県や島根県、鳥取県などで、九州で漁船の遭難が相次いだほか、岡山県では三大河川(吉井川・旭川・高梁川)が氾濫し、流域でも土砂災害が多発した。島根県の宍道湖も氾濫し松江市が浸水するなど、大水害となった。死者の数は、熊本県で827人、岡山県で423人、鳥取県で328人、大分県で266人、長崎県で136人、佐賀県で64人などであった。岡山県では60,000棟以上の建物が浸水・損壊した。特に高梁川流域では、上流の高梁市成羽町で山崩れが起き、下流でも倉敷市船穂町など堤防があちこちで決壊。広範囲が浸水した。当時高梁川は、下流で東西に分流していたが、この台風による水害以降、東西の分流は一本化された。 (ja)
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  • 明治26年の台風 (ja)
  • 明治26年の台風 (ja)
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