『憲教類典』(けんきょうるいてん)は、天正年間より寛政年間の、主に江戸幕府の法令を編纂した書。蝦夷地探検で著名な近藤重蔵が、一九歳の寛政元年(1798年)の時から編纂を始め、寛政十年(1798年)に完成した。同年、若年寄堀田摂津守正敦の命をうけて、近藤は幕府にこの書を献上した。その後、文政元年(1818年)には、幕府書物奉行で編者でもあった近藤へ、『憲教類典』の増補改訂が命じられた。つまり、当初は近藤による私撰の法令集であったが、幕府による改訂作業を経て官撰の法令集として、この書が位置づけられる結果となった。 この書は五集147部147巻に分類され、内閣文庫所蔵の「記録改題」によると本書は154巻132冊からなる。『憲教類典』は、近世の昌平坂学問所から、明治以降内閣文庫の所蔵にかかる。現在汲古書院から出版の『内閣文庫所蔵史籍叢刊』によって、その全貌が明らかとなっている。

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  • 『憲教類典』(けんきょうるいてん)は、天正年間より寛政年間の、主に江戸幕府の法令を編纂した書。蝦夷地探検で著名な近藤重蔵が、一九歳の寛政元年(1798年)の時から編纂を始め、寛政十年(1798年)に完成した。同年、若年寄堀田摂津守正敦の命をうけて、近藤は幕府にこの書を献上した。その後、文政元年(1818年)には、幕府書物奉行で編者でもあった近藤へ、『憲教類典』の増補改訂が命じられた。つまり、当初は近藤による私撰の法令集であったが、幕府による改訂作業を経て官撰の法令集として、この書が位置づけられる結果となった。 この書は五集147部147巻に分類され、内閣文庫所蔵の「記録改題」によると本書は154巻132冊からなる。『憲教類典』は、近世の昌平坂学問所から、明治以降内閣文庫の所蔵にかかる。現在汲古書院から出版の『内閣文庫所蔵史籍叢刊』によって、その全貌が明らかとなっている。 (ja)
  • 『憲教類典』(けんきょうるいてん)は、天正年間より寛政年間の、主に江戸幕府の法令を編纂した書。蝦夷地探検で著名な近藤重蔵が、一九歳の寛政元年(1798年)の時から編纂を始め、寛政十年(1798年)に完成した。同年、若年寄堀田摂津守正敦の命をうけて、近藤は幕府にこの書を献上した。その後、文政元年(1818年)には、幕府書物奉行で編者でもあった近藤へ、『憲教類典』の増補改訂が命じられた。つまり、当初は近藤による私撰の法令集であったが、幕府による改訂作業を経て官撰の法令集として、この書が位置づけられる結果となった。 この書は五集147部147巻に分類され、内閣文庫所蔵の「記録改題」によると本書は154巻132冊からなる。『憲教類典』は、近世の昌平坂学問所から、明治以降内閣文庫の所蔵にかかる。現在汲古書院から出版の『内閣文庫所蔵史籍叢刊』によって、その全貌が明らかとなっている。 (ja)
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  • 『憲教類典』(けんきょうるいてん)は、天正年間より寛政年間の、主に江戸幕府の法令を編纂した書。蝦夷地探検で著名な近藤重蔵が、一九歳の寛政元年(1798年)の時から編纂を始め、寛政十年(1798年)に完成した。同年、若年寄堀田摂津守正敦の命をうけて、近藤は幕府にこの書を献上した。その後、文政元年(1818年)には、幕府書物奉行で編者でもあった近藤へ、『憲教類典』の増補改訂が命じられた。つまり、当初は近藤による私撰の法令集であったが、幕府による改訂作業を経て官撰の法令集として、この書が位置づけられる結果となった。 この書は五集147部147巻に分類され、内閣文庫所蔵の「記録改題」によると本書は154巻132冊からなる。『憲教類典』は、近世の昌平坂学問所から、明治以降内閣文庫の所蔵にかかる。現在汲古書院から出版の『内閣文庫所蔵史籍叢刊』によって、その全貌が明らかとなっている。 (ja)
  • 『憲教類典』(けんきょうるいてん)は、天正年間より寛政年間の、主に江戸幕府の法令を編纂した書。蝦夷地探検で著名な近藤重蔵が、一九歳の寛政元年(1798年)の時から編纂を始め、寛政十年(1798年)に完成した。同年、若年寄堀田摂津守正敦の命をうけて、近藤は幕府にこの書を献上した。その後、文政元年(1818年)には、幕府書物奉行で編者でもあった近藤へ、『憲教類典』の増補改訂が命じられた。つまり、当初は近藤による私撰の法令集であったが、幕府による改訂作業を経て官撰の法令集として、この書が位置づけられる結果となった。 この書は五集147部147巻に分類され、内閣文庫所蔵の「記録改題」によると本書は154巻132冊からなる。『憲教類典』は、近世の昌平坂学問所から、明治以降内閣文庫の所蔵にかかる。現在汲古書院から出版の『内閣文庫所蔵史籍叢刊』によって、その全貌が明らかとなっている。 (ja)
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  • 憲教類典 (ja)
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