恩地 トミ(おんち とみ、弘化3年(1846年) - 明治36年(1903年))は、江戸時代末期から明治時代にかけての馬関赤間町(山口県下関市)出身の女性。名前は登美、富美とも。下関で旅籠を経営していたの二女。母はチセ。 天誅組の公家・中山忠光の側女で、忠光の死後、唯一の子である南加を産んだ。