天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。その活動は文久3年(1863)8月17日の大和国五條代官所討ち入り(挙兵)から、幕府の追討を受け転戦してのち、同年9月24日~27日大和国東吉野村で多くの隊士が戦死して壊滅するまでの約40日である。(天誅組の変)。天忠組とも。