庭田 幸子(にわた ゆきこ、元中7年(1390年) - 文安5年4月13日(1448年5月15日))は、室町時代の女性。初名は経子。女房名は今参局、二条局、南御方。院号は敷政門院。父は庭田経有、母は善照房(『尊卑分脈』ではの娘とされるが、『看聞日記』ではその兄弟である飛鳥井雅家の娘であるとする記述がある)。