島田 翰(しまだ かん、1879年(明治12年)1月2日 - 1915年(大正4年)7月28日)は、日本の漢学者・書誌学者。字は彦禎。号は双桂后人。若くして校勘学で名をあげ、日中の文人と広く交流した一方で、書籍窃盗などの事件を起こし、37歳のとき自殺した。