山崎 為徳(やまざき ためのり、爲徳とも表記 幼名は周作、1857年3月28日〈安政4年3月3日〉 - 1881年〈明治14年〉11月19日)は日本の明治時代初期の宗教家、神学者。 同志社英学校で学び、開校以来の俊才と言われたが24歳で夭折した。