山口 恒太郎(やまぐち つねたろう、1873年(明治6年)2月10日 - 1941年(昭和16年)4月6日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の実業家、政治家。和歌山県出身。 元は新聞記者。福岡市の福岡日日新聞主筆となった縁で福岡にて実業界に転身し、九州電灯鉄道常務や博多商業会議所(現・福岡商工会議所)会頭などを務める。政治家としては福岡市会議員を経て立憲政友会所属の衆議院議員となった。