小山田 信有(おやまだ のぶあり、長享2年(1488年) - 天文10年2月12日(1541年3月9日)?)は、室町時代後期の武将。甲斐国東部の郡内領主(国人)。桓武平氏・秩父氏(異説もある)の小山田氏の一族。孫三郎。越中守を称した。法名は涼苑。父は小山田弥太郎(信隆)。妻は武田信縄の娘。また正室の死後に大井信達の娘を継室に迎えた可能性も示唆されている。子に出羽守を称した小山田信有がいるとされてきたが、世代的に弟である可能性が挙げられている。弥三郎を称した小山田信有・小山田信茂は孫にあたる。