大判座(おおばんざ)は、大判鋳造の需要が生じる度に後藤四郎兵衛家が開設した組織の通称である。判金座(ばんきんざ)とも呼ばれる。 江戸時代初期の頃は大判座の名称は公式には存在しなかったとされるが、金座後藤の後藤庄三郎家と区別するために後藤手代らが使用していた通称が幕末の頃には勘定所の公文書にも使用されるようになった。それ以前の幕府に提出された公文書における名称は、後藤役所(ごとうやくしょ)、後藤金見役所(ごとうきんみやくしょ)あるいは大判役所(おおばんやくしょ)であった。