大久保 忠成(おおくぼ ただあきら/ただなり)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武士、徳川家家臣(戦国武将、旗本)。大久保忠世の四男で、大久保忠隣の弟。 最初の駿府城代であり 、寛永10年(1633年)から明暦2年(1656年)の24年間勤めた。駿河国庵原郡・益津郡の中で5000石を知行した旗本。大久保玄蕃知行所は明治まで大久保家の領地として9代続いた。歴代大久保家当主を大久保玄蕃(頭)と記載する資料も多い。