多賀谷 峯経(たがや みねつね、元禄8年(1695年) - 宝暦9年7月15日(1759年8月7日))は出羽久保田藩の家老。久保田藩士で檜山所預の多賀谷氏当主。戸村家分家の(すみかぜ)の子で、初め戸村一学家の当主。のち実兄・(ただしげ、通称:酉之助、彦太郎)の養嗣子となる。幼名は万千代。通称は左兵衛、隠居して下総。俳号は敬之堂梅坡。 峯経が行った自家栽培用の茶の植樹が北限の茶とされる檜山茶の始めとされる。