増島 六一郎(ますじま ろくいちろう、1857年8月6日(安政4年6月17日) - 1948年(昭和23年)11月13日)は、近江国犬上郡彦根町(滋賀県彦根市)の彦根藩士の家に生まれた弁護士。父が61歳のときの子供であったため六一郎と命名された。英吉利法律学校(のちの中央大学)の創立者18名の中心人物として同校初代校長に就任した。