呉達済(オ・ダルチェ、ご たつさい、朝鮮語: 오달제、1609年 - 1637年)は、李氏朝鮮の、画家。本貫は海州呉氏。 1637年に丙子胡乱が起きるや、洪翼漢、尹集とともに、清との講和に最後まで反対したため、「三学士」と呼ばれる。