名護御殿(なごうどぅん)は、尚質王の三男・尚弘仁、名護王子朝元(1650年6月9日(順治7年5月11日) - 1682年9月23日(康煕21年8月22日))を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、代々名護間切(現・名護市(羽地・屋我地の両地区除く))の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝元は、1682年、慶賀使として江戸上りを行っている。三世・朝栄、四世・朝宜、五世・朝長は、慶賀使としてそれぞれ薩摩へ派遣されている。九世・朝忠の時、廃藩置県を迎えた。