尚質王(しょうしつおう、1629年10月1日(崇禎2年8月15日) - 1668年12月20日(康熙7年11月17日))は、琉球王国第二尚氏王統の第10代国王(在位1648年 - 1668年)。第8代国王尚豊王の子で、第9代国王尚賢王の弟。 童名は思徳金(うみとくがね)、尚豊王の四男として生まれる。一時、尚豊王の弟の尚享(尚久の七男、護得久御殿二世)の養子になっていたが、兄の尚賢王の遺命により中城王子(世子)となり、尚賢王の薨去後即位した。養父の尚享は、尚質王の摂政(1654年 - 1666年)を務めた。 羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行なった。また、羽地朝秀は尚質王の代に琉球最古の歴史書である「中山世鑑」を編集している。

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  • 尚質王(しょうしつおう、1629年10月1日(崇禎2年8月15日) - 1668年12月20日(康熙7年11月17日))は、琉球王国第二尚氏王統の第10代国王(在位1648年 - 1668年)。第8代国王尚豊王の子で、第9代国王尚賢王の弟。 童名は思徳金(うみとくがね)、尚豊王の四男として生まれる。一時、尚豊王の弟の尚享(尚久の七男、護得久御殿二世)の養子になっていたが、兄の尚賢王の遺命により中城王子(世子)となり、尚賢王の薨去後即位した。養父の尚享は、尚質王の摂政(1654年 - 1666年)を務めた。 羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行なった。また、羽地朝秀は尚質王の代に琉球最古の歴史書である「中山世鑑」を編集している。 (ja)
  • 尚質王(しょうしつおう、1629年10月1日(崇禎2年8月15日) - 1668年12月20日(康熙7年11月17日))は、琉球王国第二尚氏王統の第10代国王(在位1648年 - 1668年)。第8代国王尚豊王の子で、第9代国王尚賢王の弟。 童名は思徳金(うみとくがね)、尚豊王の四男として生まれる。一時、尚豊王の弟の尚享(尚久の七男、護得久御殿二世)の養子になっていたが、兄の尚賢王の遺命により中城王子(世子)となり、尚賢王の薨去後即位した。養父の尚享は、尚質王の摂政(1654年 - 1666年)を務めた。 羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行なった。また、羽地朝秀は尚質王の代に琉球最古の歴史書である「中山世鑑」を編集している。 (ja)
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