古賀 精里(こが せいり、寛延3年10月20日(1750年11月18日) - 文化14年5月3日(1817年6月17日))は、江戸時代中期〜後期の儒学者。名は弥助、姓は劉、氏は古賀。幼名は文太郎、諱は樸(すなお)または朴、字は淳風。号は、はじめ訥斎、後に精里。「寛政の三博士」「寛政の三助」と称された。子に穀堂、侗庵、孫に謹一郎(茶渓)が居る。