肥前石井氏(ひぜんいしいし)は、鎌倉時代の発祥と伝わり、室町時代から明治時代初期にかけて肥前国を根拠とした武家・士族である。とくに近世の佐賀藩主・鍋島氏の藩祖以来の外戚として殊遇を享けた一族として知られる。一族中、「鍋島」の名乗りを許された家もある。 本貫は下総国。本姓は藤原氏(北家)を称し、女系の血統から、下総国出身の千葉氏の後裔とも称した。 鍋島氏とともに、戦国大名龍造寺家兼・隆信の譜代重臣(水ヶ江譜代)として勢力を拡大し、後に佐賀藩主になった鍋島氏の外戚・重臣として続いた。 石井党、石井一門、石井寄合衆と呼ばれる精強な武士団を率いて、戦国時代から江戸時代初期にかけて隆盛を極めた。 佐賀藩に伝わる武士道論書『葉隠』にもしばしば登場する一族で、明治に至るまで戦国時代の武家の気質・家風を伝えた一方、俳人・歌人や学者などの人物も輩出し、文武両道の家門であった。 明治以降も日本の電話創始者・石井忠亮、日本の知的障害者教育・福祉の創始者・石井亮一ら国史に名を残す有為な人材をも輩出した。 姻戚には大隈重信、中牟田倉之助、武富時敏、久米邦武らが名を連ねている。