十五国風(じゅうごこくふう)は、各国の神降し・神招き・祭礼が記された「国風」を国や都市で区分し十五個に分けたものである。 「国風」とは、『詩経』の中に存在する詩のことを言い、「国」とは諸侯の封ぜられた地域であり、「風」とは民族歌謡の詩である。つまり「雅」「頌」が朝廷の宗廟を舞台にしたものに対し、「国風」は地方の都市や村落の社や聖地を発生基盤とした、神降し・神招きの歌をその原型とするものである。 「風」の語の所以については、『詩序』では「風は、風なり、教なり」という風が物をなびかせるように、上の教化が人々に及ぶことを言うものだとすると、本来の「風」とは全く関係ない「風」は「凡祭」の意味であり、招魂や祖先を祭るための祭礼と言った古代の風俗・風習の意味であるという家井真の説、又それと対照的に「風」と言う字は風俗・・その他いろいろと基本とする意義について探索されているけれどもそれはいずれも風と言う字に写定された以後について解釈されているものであって、原義ではなく殷代には、降神・招神を一般に「凡」と言いその儀礼をと言っており、「風」はこの音を映したものに過ぎないとする赤塚忠の説ががある。

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  • 十五国風(じゅうごこくふう)は、各国の神降し・神招き・祭礼が記された「国風」を国や都市で区分し十五個に分けたものである。 「国風」とは、『詩経』の中に存在する詩のことを言い、「国」とは諸侯の封ぜられた地域であり、「風」とは民族歌謡の詩である。つまり「雅」「頌」が朝廷の宗廟を舞台にしたものに対し、「国風」は地方の都市や村落の社や聖地を発生基盤とした、神降し・神招きの歌をその原型とするものである。 「風」の語の所以については、『詩序』では「風は、風なり、教なり」という風が物をなびかせるように、上の教化が人々に及ぶことを言うものだとすると、本来の「風」とは全く関係ない「風」は「凡祭」の意味であり、招魂や祖先を祭るための祭礼と言った古代の風俗・風習の意味であるという家井真の説、又それと対照的に「風」と言う字は風俗・・その他いろいろと基本とする意義について探索されているけれどもそれはいずれも風と言う字に写定された以後について解釈されているものであって、原義ではなく殷代には、降神・招神を一般に「凡」と言いその儀礼をと言っており、「風」はこの音を映したものに過ぎないとする赤塚忠の説ががある。 (ja)
  • 十五国風(じゅうごこくふう)は、各国の神降し・神招き・祭礼が記された「国風」を国や都市で区分し十五個に分けたものである。 「国風」とは、『詩経』の中に存在する詩のことを言い、「国」とは諸侯の封ぜられた地域であり、「風」とは民族歌謡の詩である。つまり「雅」「頌」が朝廷の宗廟を舞台にしたものに対し、「国風」は地方の都市や村落の社や聖地を発生基盤とした、神降し・神招きの歌をその原型とするものである。 「風」の語の所以については、『詩序』では「風は、風なり、教なり」という風が物をなびかせるように、上の教化が人々に及ぶことを言うものだとすると、本来の「風」とは全く関係ない「風」は「凡祭」の意味であり、招魂や祖先を祭るための祭礼と言った古代の風俗・風習の意味であるという家井真の説、又それと対照的に「風」と言う字は風俗・・その他いろいろと基本とする意義について探索されているけれどもそれはいずれも風と言う字に写定された以後について解釈されているものであって、原義ではなく殷代には、降神・招神を一般に「凡」と言いその儀礼をと言っており、「風」はこの音を映したものに過ぎないとする赤塚忠の説ががある。 (ja)
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  • 十五国風(じゅうごこくふう)は、各国の神降し・神招き・祭礼が記された「国風」を国や都市で区分し十五個に分けたものである。 「国風」とは、『詩経』の中に存在する詩のことを言い、「国」とは諸侯の封ぜられた地域であり、「風」とは民族歌謡の詩である。つまり「雅」「頌」が朝廷の宗廟を舞台にしたものに対し、「国風」は地方の都市や村落の社や聖地を発生基盤とした、神降し・神招きの歌をその原型とするものである。 「風」の語の所以については、『詩序』では「風は、風なり、教なり」という風が物をなびかせるように、上の教化が人々に及ぶことを言うものだとすると、本来の「風」とは全く関係ない「風」は「凡祭」の意味であり、招魂や祖先を祭るための祭礼と言った古代の風俗・風習の意味であるという家井真の説、又それと対照的に「風」と言う字は風俗・・その他いろいろと基本とする意義について探索されているけれどもそれはいずれも風と言う字に写定された以後について解釈されているものであって、原義ではなく殷代には、降神・招神を一般に「凡」と言いその儀礼をと言っており、「風」はこの音を映したものに過ぎないとする赤塚忠の説ががある。 (ja)
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  • 十五国風 (ja)
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