児島 強介(こじま きょうすけ、天保8年(1837年)- 文久2年6月25日(1862年7月21日)は、幕末の尊皇派志士。文久2年の坂下門外の変に関与して収監され獄死した。その辞世が、「義烈回天百首」に収められている。本姓は小島、名は「強助」「孝助」とも書かれる。字は矯(たかし)、幼名は倉之介、号は草臣、葦原処士など。