尾高 長七郎(おだか ちょうしちろう、天保7年(1836年) - 明治元年11月18日(1868年12月31日))は、幕末の剣術家、尊皇攘夷派の志士。流派は神道無念流、心形刀流。幼名は弥三郎、諱は弘忠。号は省斎、または東寧。 尊攘派の志士として文久2年(1862年)1月の坂下門外の変の謀議などに参加。文久3年(1863年)の尾高惇忠や渋沢栄一らによる高崎城襲撃計画・横浜異人街の攘夷計画では反対の立場をとり中止させた。この後、誤って通行人を切りつけた罪で投獄され、明治維新のさなかに出獄してすぐに病没した。