信城君(しんじょうくん、シンソングン、신성군、万暦6年12月10日(1579年1月6日) - 万暦20年11月5日(1592年12月8日)は、李氏朝鮮の第14代国王宣祖の第4子(庶子)。名は珝(王偏に羽)(フ、후)。 母の仁嬪は父からの寵愛を受けていたため、自身も父から寵愛された。一時、父から世子候補に選ばれたが、東人派の反対により、除外された。結局、光海君が世子となる。文禄の役が発生した際は両親と漢城府を脱出するが、義州に避難する道中で病気のため、数え年の14歳で死去。