久志御殿(くしうどぅん)は、尚貞王の長男・尚純の三男・尚盛、越来王子朝得(1702年-1759年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期に久志間切(現・東村と名護市の一部)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝得の父・尚純は尚貞王の長男で王世子(中城王子)であったが即位前に亡くなり、息子の尚益王が即位したため、王の父たるをもって王号を追贈された。六世・朝熹から久志間切に転任し、以後久志を家名とした。

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  • 久志御殿(くしうどぅん)は、尚貞王の長男・尚純の三男・尚盛、越来王子朝得(1702年-1759年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期に久志間切(現・東村と名護市の一部)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝得の父・尚純は尚貞王の長男で王世子(中城王子)であったが即位前に亡くなり、息子の尚益王が即位したため、王の父たるをもって王号を追贈された。六世・朝熹から久志間切に転任し、以後久志を家名とした。 (ja)
  • 久志御殿(くしうどぅん)は、尚貞王の長男・尚純の三男・尚盛、越来王子朝得(1702年-1759年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期に久志間切(現・東村と名護市の一部)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝得の父・尚純は尚貞王の長男で王世子(中城王子)であったが即位前に亡くなり、息子の尚益王が即位したため、王の父たるをもって王号を追贈された。六世・朝熹から久志間切に転任し、以後久志を家名とした。 (ja)
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  • 久志御殿(くしうどぅん)は、尚貞王の長男・尚純の三男・尚盛、越来王子朝得(1702年-1759年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期に久志間切(現・東村と名護市の一部)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝得の父・尚純は尚貞王の長男で王世子(中城王子)であったが即位前に亡くなり、息子の尚益王が即位したため、王の父たるをもって王号を追贈された。六世・朝熹から久志間切に転任し、以後久志を家名とした。 (ja)
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  • 久志御殿 (ja)
  • 久志御殿 (ja)
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